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放映権料の分配は、何の解決にもならない

自転車ロードレースのビジネスモデルは破綻している。

 

毎年のようにチーム解散が話題に上り、去年はキャノンデールが7億円のためにクラウドファンディングで資金を集め、今年はBMCがメインスポンサーから撤退した後にCCCに買われ、シーズン73勝を上げたクイックステップはメインスポンサー探しに苦労した結果、カビリアとテルプストラという二人のエースを失ってしまった。

そして飛び込んできたスカイが2019年限りでのスポンサー撤退するニュース。

夢も希望もないこのスポーツは、運営システムの重要な欠陥をはらんでいる。

それも、ずっと昔から。

構造的に黒字になりえない

自転車チームは活動資金の全てをスポンサーに頼っており、大半のチームは複数の企業からの資金を組み合わせて成り立っている。

そのためチーム名とカラー(色)は毎年のように変わり、そのジャージは企業の名前で埋め尽くされる。

スポンサーからの資金よって活動しているのはサッカーや野球、他のプロスポーツと同じだが、異なっているのはその収益構造だ。

そもそも自転車ロードレースの問題は、資金を得る術がスポンサーしかない点にある。なぜなら他のスポーツのように観客収入がないからだ。

ホームスタジアムのないチームが、レースを沿道で応援する観客から観戦料を徴収するなどできるわけがなく、また主催者の側からすれば、観客が集まりすぎると警備するものを増やさなければならないので、運営側の出費がかさむというジレンマを抱えている。

出場すればするほど赤字になる

観客収入の他にスポーツが得られるお金といえば、レースの中継されることによって得られる放映権料だ。

しかし、ツール・ド・フランスを主催するASO、ジロ・デ・イタリアのRCSスポート、ブエルタのウニプブリクらは、放映権料の分配を行っていない。(レース賞金もあるが、すべて選手やスタッフ間で分配されるため、チームにとっては運営資金というよりは臨時ボーナスという位置づけだ)

また、あるプロコンチームのオーナーによれば、チームがワールドツアーレースに出場するためには、主催者に100万〜300万円程度を支払わなければならないとも言われている。

つまり、チームはレースに出場すればするほど赤字が増えてしまうのだ。これが構造上黒字になりえない理由である。

放映権料の分配は解決策になりえない

ここで他のプロスポーツを見てみよう。

たとえばモータースポーツの最高峰であるF1は各チームに約4.6億円もの資金が分配される。

またイングランドサッカーのプレミアリーグでは収益の約3,000億円が各チームで分けられ、その半分は各チーム平等に、4分の1は順位に応じて、4分の1は放映された試合数に応じて支払われる仕組みになっている。

これらにならい、ツール主催者であるASOも放映権料を各チームに分配すれば、チームにとってスポンサー以外の安定的な収入が生まれ、チーム寿命が延び、全てが解決する…

 

…とは、ならない。

 

そもそも、ASOは放映権を分配できないし、仮に分配したとしても、チームにとっては大した足しにならないのだ。

そもそも分配できるほどの利益がない

世界で最も大きな自転車ロードレースの大会であるツール・ド・フランス。それを主催するASO(アモリ・スポル・オルガニザシオン)が、2016年の収入は約282億円と言われている。

だが、その利益はたったの約58億円しかない。

ASOはツール以外に様々なスポーツを主催しているのだが、仮にそのうち38億円を自転車レースで稼いだとしよう。

そして、その半分の19億円を各チームに分配したとしても、1チームが受け取る金額は1億円に満たない。

つまり年間の運営資金が20億円のチームにとって、たったの5%にしかすぎないのだ。

 

ASOが放映権料を分配したところで、スポンサーに頼らなければチームの運営が成り立たない現状は、何も変わらないのである。

 

幻となったモデルケース

では、毎年のようにチームが消滅してしまう自転車ロードレースに希望の光はないのだろうか?

当ブログで何回も紹介しているアクアブルースポートは、この構造的欠陥に正面から立ち向かい、自転車関連商品のECサイトで収益を上げ、それを運営費に回すという完全自立型のチーム運営を目指していた。しかし、それはあえなく破綻…したどころが、実情はレース当日の朝食の食器を選手自ら洗わなくてはならないほど、プロチームとはほど遠い実情だったことが明らかになっている。

ZOZOが買っても何も変わらない

チームが消滅の危機に瀕すると「どこかの自転車好きの大富豪がポケットマネーで買えばいい」という意見が出るが、自転車ロードレースというスポーツ全体から見れば、それはチーム単体の応急処置にしかならず、破綻するビジネスモデルの根治にはなりえない。

そのためには長らく続いたパトロン型のチーム運営を脱し、長く退屈なレース展開を脱し、ショーマンシップを高め、マーケティング価値を高めなければならない。

73勝が価値のあるスポーツにしなければ、7年で6回のツール総合優勝を市場的価値のある構造にしなければ、このスポーツは欧州のローカルな実業団スポーツに成り下がってしまう。

いや、むしろASOとUCI(国際自転車競技連合)はそうなることを望んでいるのかもしれない。

なぜなら、UCIは競技の国際化を声高に叫んでおきながら1チームの人数を減らし、ドヤ顔でソックスの長さを規定し、赤字の祭典オリンピックを運営するIOCにゴマをすり、パワーメーター禁止やサラリーキャップに賛同するなどといった、ひたすらにマクロな視点にたっている。

 

あんたらが目の敵にしていたライミーが自滅したぞ。愉快か?痛快か?これで満足か?

Source: Cycling Pulse

*利益と純利益となっていた箇所と、収入と利益に修正しました。