今季限りでキャノンデール・ドラパックを退団し、トライアスロン(アイアンマンレース)の選手に転向するアンドリュー・タランスキーのインタビューの一部を抜粋して訳しました。
なお、ハワイ島のコナで10月15日に行われた「アイアンマンレース世界選手権」の特集番組に、視察で訪れたタランスキーが出演した際のインタビューです。(その為、聞き手は自転車ロードレースに関して明るくない)。
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ーー 今日ゲストに来てくれたのはツール・ド・フランスの選手で、トライアスリートになるアンドリュー・タランスキーだ。これ本当かい?
ああ。本当だよ。
ーー ニューヨークのマンハッタンで生まれ、フロリダのキーベスケインで育った。高校ではクロスカントリーをやっていたそうだけど、その頃から水泳はやっていたの?
ああ。走りと泳ぎは中・高の時にやっていた。だから一応トライアスロンの下地はあるんだ。
ーー 自転車とはいつ出会ったんだい?
17歳の時だ。
ずっと長距離走をやっていて、あまり良い選手ではなかったけど今でも一番好きなスポーツだ。でも若かったから効率的でないトレーニングをたくさんして怪我してしまったんだ。そのリハビリの一貫として自転車に乗ったら一瞬で恋に落ちてしまい、そこからいまに至るよ。
ーー 大学に行っていたんだって?
そう。ノースカロライナにあるリーズ マックレイ大学に一年間通っていた。素晴らしい自転車チームがあって、そこから自転車一本になった。
ーー そこからイタリアのチームに行ったそうだが、ヨーロッパに適応することは大変だったのかい?
そのチームには三ヶ月いたんだけど、正直に言うと人生で最も辛い期間だった。でもそのおかで視野が広がったし、この先のこれ以上の苦しみなんてないと思えたんだ。それにこんな酷い経験をしても「プロ自転車選手になりたい」という意志があることに気がつけたから、辛かったけどポジティブなこともあった経験だった。
ーー プロになったのは2011年のガーミンというチームだっけ?
そうだ。2009年までは無名だったけど、2010年にいい成績を上げらたんだ。その年ダメだったらプロは諦めて大学に戻ろうと思っていたから、本当に良かったよ。
ーー その後、トップ10に入ったこの、えっと、ツアー・オブ、ロ、ロマーナ?
(ツール・ド・)ロマンディだ。笑
ーー そして2012年にプロ初勝利(ツール・ド・レン 総合優勝)をあげた。
ああ。競技人生の中で良い思い出がたくさんあるし、もちろんツール・ド・フランスという大きい大会で走れたことは幸せだったけど、今年のツアー・オブ・カリフォルニア(第5ステージ)で、友だちや家族の前で勝利できたのは嬉しかった。
ーー 皆が知っているツール・ド・フランスという大会で君は、10位(2013年)、11位(2015年)、49位(2017年)という成績だった。
一番最近のツールが僕のベストではないのだが、とにかく「ツールには獣が棲みついているんだ。」
自分の思った通りになんてならないし、とてもチャレンジングで…だからその分の称賛は大きいのだけど…次の新しいステージに進む時だったんだ。
ーー 君はパリ・ニースでの2位や、ツール10位などの成績を上げてきた。その中で一番印象に残っているレースはどれだい?
ベストを決めるのは難しいね。たぶん多くの人は、総合優勝した2014年のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネを僕のキャリアハイに挙げるだろうけど、個人的な一番は総合5位に入った去年のブエルタ・ア・エスパーニャかな。大会の半年ほど前から「調子が良ければ5位以内に入れる」と自分で言っていたから、有言実行となった思い出深いレースだ。
ーー 予想通りの結果を出せたということはプロのスポーツ選手とって大きなことだろうからね。
自転車ロードレースは一般道を使い、あらゆる障害の中で走らなければいけない。それにチームが自分に協力してくれないと勝つことができない競技だろう?
障害はたくさんある。ツールを何回も勝っているクリス・フルームの凄いところは、自分の調子を整え、仲間の協力を得て、沢山のイレギュラーを未然に防ぎ、時には妥協点を見極めなければならない。彼はそれらを乗り越えてきた。メカトラや落車などの困難が訪れても常に解決策を見つけ、全てに打ち勝たないとツールでは勝てないんだ。
ーー なぜトライアスロンに転向しようと思ったんだい?
七ヶ月になる息子(ボーディ)の誕生が大きかった。…でもプロの自転車選手としての生活が辛くなっていたのは事実かな。レースのために年間で70~80日を犠牲にして、さらにトレーニングキャンプもあるんだ。それよって家族との時間を奪われるのは僕の望んでいる生活ではなかった。
僕はマイアミで育ったからトライアスロンやアイアンマンは周りにあったし、母親の彼氏がトライアスリートだったから尚さら身近だった。だからもし17歳の時の怪我がなければ、あのままトライアスリートになってたかもしれない。
それに僕はアイアンマンの競技環境が好きなんだ。協力してくれる人や、企業、特に僕と契約をしてくれたメーカー(CANYON)は前々から大好きだったんだ。
タランスキーはトライアスリートとしてドイツの自転車メーカーCanyonと契約を結んだ。
これは長い期間熟考し、準備してきたことなんだ。これまで自転車選手として培ってきた能力を無駄にすることなくできる新たな挑戦が、アイアンマンだったんだ。
ーー 僕が見に行ったツール・ド・フランスはまるでカーニバルやサーカスのようだった。アイアンマン世界選手権はこのように素晴らしい大会だが、ツール・ド・フランスはその1000倍だ。しかもそのお祭りが23日間続くのだろう?
そういう風に言われれるはのは興味深いよ。この世界選手権にはポジティブで、とても良いエネルギーに満ち溢れている。アマチュアとプロが混ざりあう競技ということや、アプローチなどから、自転車ロードレースの世界とはちょっと違うかな。
ツールでの日々は”移動サーカス団”みたいなものだ。そして選手は見世物の動物だ。笑
毎日違うホテルに泊まるから、毎朝目覚めると自分がどこにいるかわからなくなるんだ。レース期間中に良い食事は取れるけど、ホテルはリゾートホテルからモーテルまでランダムだし、毎日2~3時間かけてバスで移動して、5~6時間レースするんだ。
こんな三週間…狂気の沙汰だよ。
ーー これまでスティーブ・ラーセンというマウンテンバイクからロードレース、その後トライアスロンに転向して成功した素晴らしい選手がいる。
またトライアスロンと自転車ロードレースとの違いは、自分との戦いだということだと思う。トライアスロンにはライバルの後ろについたり騙し合いなどはなく、そのレースでベストな選手が勝つシンプルなスポーツだ。そういう側面が君に魅力的に映ったのかい?
まさにその通りだ。僕は幼い頃から走るのが好きだった。ストップウォッチのタイムを更新することだけに集中すればいいからね。自転車ロードレースはチェスのような駆け引きがあって、それがツールなどのレースを面白くする要因だし、美しさに繋がっている。だけど僕は全て自分でコントロールできるけど、喜びや苦しみ全てが自分に返ってくる個人タイムトライアルが好きだった。
ーー ここには君が好きな種類の苦しみがあるからね。
そうなんだ。だからトライアスロンやアイアンマンをすることによって、”苦しみ”の種類に変化が起きることを期待している。
ーー 1年かけて競技に適応するなんてことはせず、すぐレースに出る予定なんでしょ?
ああ。このスポーツがとても好きで尊敬しているんだ。正直、距離が長くないと僕の特性は生かされないと思っている。4時間と8時間では精神的に必要なものも変わってくるからね。
ーー 今日は本当にありがとう。とりあえずの目標は、来年ここに選手として来ることかい?
間違いないね。
ーー ところでいま何歳?
28歳だ。
ーー なんだよまだ若いじゃないか!君にたくさんの時間が残されている!アンドリューありがとう。
ありがとう。
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「選手としてハワイに戻ってくることが待ち遠しいよ。」