その場には、似つかわしくない言葉だった。
132kmのショートステージとなったツール・ド・ヨークシャー第2ステージ。
平坦ではありながら細かい起伏の多いステージを制したのは、カチューシャのリック・ツァベル(25歳/ドイツ)。自身としては4年ぶりの勝利だった。
路面が濡れ悪条件の中、残り9km地点で逃げを吸収したメイン集団はスプリントを開始。
「ラスト5kmは本当にカオスだった」
「何回か落車しかけた。でも、自分でも分からないけど残り500mで良いポジションにつけたんだ。ラスト200mの標識が見えたからロングスプリントができると思って、飛び出した。誰かに捕まるかもしれないけど、行ってみようと。」
エーススプリンターであるマルセル・キッテルの代わりにチームの勝利を託されたツァベルは、集団後方から残り120mの緩い傾斜のある左カーブでライバルたちの前を左から右に横切るように先頭にたち、残り100mを切った辺りで自転車1台分の広げ、勝利した。
怖かった。
「ラスト50mは、とても怖かった。」
レース直後のインタビューでツァベルは、少し疲れた顔でこう答えた。
「僕はいつも勝つような選手じゃないし…でも、今日は勝てるかもしれない。でもやっぱり後ろから誰か来るんじゃないかと、怖かった。」
勝利直後のインタビューで、選手が話す内容というのはある程度決まっている。たいていは勝利の喜びや、チームメイトやスタッフへの感謝、レースの総括、勝利を受け入れきれない戸惑いなどだ。
しかしこの時、ツァベルは冷静にインタビュワーの目を見ながら、「怖かった」と二度繰り返した。
ツール・ド・ヨークシャーはレースランクで言えばHC(オークラス)。ワールドツアーチームはカチューシャを含め4チームしか出場していない。
スプリンターもカヴェンディッシュこそいたが不調なのは明らかで、その他もボーイ・ファンポッペル(31歳/ルームポッド)やクリス・ローレス(23歳/イネオス)と、ツァベルの実力持ってすれば怖れるような選手ではない。
ジールシュマーツ
ドイツ語にはジールシュマーツ(zielschmerz) という言葉がある。
これは「欲しいものを手に入れることに対する怖れ」を表す表現だ。
いざ求めていたものが手に届きそうになると、憂慮してしまうことを言う。
今季のカチューシャは、同月に開催されたパリ〜ルーベでニルス・
このレースでキッテルの代わりにエースを任されたツァベルには、勝利が求められていた。
「だから、一位でフィニッシュラインを越えた時、ホッとしたんだ。」
「今シーズンは序盤で鎖骨を骨折して、それなのにここヨークシャーで勝てたのは、信じられないぐらい嬉しいよ。」
世代交代
カヴェンディッシュを中心に、クリストフやグライペルが牽引してきたスプリント界は、希代のスターことペーター・サガンやキッテル、ヴィヴィアーニの登場で世代交代が行われた。
しかし昨年から今年に入り、ユアンやガビリア、ルーネウェーヘンといった25歳以下の世代によって、早くも取って代わられる兆しを見せている。
普段は導く役割である勝利を周囲から求められ、自ら仕掛け掴んだ勝利。
だからこそ、手に入りそうになるフィニッシュ手前50mで、ツァベルは怖れを感じたのだ。
5月9日にカチューシャはマルセル・キッテルのチームと競技からの離脱を発表。カチューシャはチームの顔であるエーススプリンターを失った。
スプリンターの新時代はまだ始まったばかりだ。そして、そこに25歳のリック・ツァベルの席も用意されている。
リードアウトによって勝利を導いてきたツァベルの、求めるものはそこある。