ランス・アームストロングが初めてドーピングした日。

ツール・ド・フランス幻の7連覇者で、いまはポッドキャスト番組のホストを務めるランス・アームストロングが、昨年行われたインタビューにて自身がはじめてドーピングした日について語った。

ーー初めてドーピングした時のことを覚えてる?

ランス・アームストロング:えっと…うん、たぶん。
ゲートウェイドラッグで…禁止されていない、もちろん(ドーピング検査で)検出もされないものだった。

ーーでも(ドーピングと呼ばれる)何かだったんだね。

ランス:(その時の)考え方は単純で、それが力になるんだったら…それが禁止薬でなく、検査に引っかからないものは、すなわち使用するものだ。

ーーその決断をしたのはいつ頃?1993年とか?

ランス:たぶん1991年かな。イタリアのステージレースだ。でも(禁止薬物であるかと)区別するのは難しい。その当時は禁止のものだと思っていなかった。でもドクターが入ってきて、その時俺は総合首位で、何が何でも勝ちたかった。だから入ってきた彼に向かって「カバンに入っているものを全部よこせ」って言ったんだ。そしたら彼は笑っていたよ。でもそれは恐らくコルチゾンみたいな薬だったと思う。

悪かったのは、誰?

アメリカのテキサス州に生まれたランスはトライアスリートとして頭角を現し、16歳(1987年)の時にプロ転向。国内で活躍後、トライアスロンが当時の五輪種目ではなかったことを理由に自転車競技に専念する。

そしてアメリカでアマチュアとして活躍後、1992年にモトローラとプロ契約(~1996年)を結び、欧州でプロ自転車選手としてデビューを果たす。

ーーそれが初めてだったと。

ランス:ああ、そうだ。でも…はじめて正式に禁止薬物を使ったのは…1993年だ。

ーー(その当時の君は)それ(禁止薬物)に囲まれていたのだろうけど、「やらなければ戦えなかった」という思いはあった?

ランス:ああ。それは”思い”ではなく”事実”だ。「みんなやっていた」、「しなければ絶対に勝てなかった」なんて言い訳はしたくないが…すべての責任は俺が取る。(ドーピングは)俺の決断だし、家(アメリカ)に帰りたくなかった。ここ(欧州)に残ると…

ーーなんで帰りたくなかったの?

ランス:俺はやめない。間違った決断ではあったが、やめるとは諦めるということだからだ。

ドーピングをめぐり裁判費用や和解金などを合わせて約125億円を支払ったと言われてるランスだが、一方で自身が率いる投資会社Next Venturesがベンチャーキャピタルファンドの立ち上げで約81億円の調達準備が報道されるなど、勝負勘は48歳になった今でも衰えていない。

またアメリカの放送局ESPNが、ランス・アームストロングの現在に迫ったドキュメンタリー映画『LANCE』を1月27日に公開する。

人々があの幻の7連覇を過去の出来事とするには、もうしばらくの時間がかかりそうだ。

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