アクアブルースポートのエースの吉報が届いたのは9月17日だった。
イングランド・シェフィールドで生まれ育ったアダム・ブライス(29歳/イギリス)は、アクアブルースポートからワールドツアーチームのロット・スーダルへの復帰を果たしたのだ。
これで自身2度目となるワールドツアーチームへの復帰になる。
ワールドツアーを2度クビになる選手はそう多くないが、そこから2度とも這い上がってきた選手はさらに珍しい。
そんな自転車界の辛酸をなめてきたアダム・ブライスが、自転車ロードレース界を生き残ってきた処世術を語った。
年々厳しくなる生き残り競争
アダム・ブライス:「今年は(契約を得るには)特に厳しい年だった。それに自転車界は年々それが難しくなっている。今年、ASO(ツール主催)とUCI(国際自転車競技連合)が、グランツールの出場人数を減らした影響でね。
こんなこと本当に馬鹿げていると思うよ。チームは選手を28人から25人に減らせるんだ。その余った資金を有力選手の年俸に充てられる。そうなるのは当然だろ?」
2018年シーズンからジロ・ツール・ブエルタの1チームの出場人数が8人から9人に減り、他のレースも最大人数が8人から7人に減った。その影響で多くのチームが所属する選手数をコンパクトにしている。
「ワールドツアーチームに所属している選手達ですらチーム探しに苦労しているんだ。プロコンチネンタルチームの選手にとってはもっと厳しい。
いまの自転車界はひどいものだよ。生きていくには残酷すぎる世界だ」
エリートを捨てた叩き上げ
ブライスは19歳だった2008年に、当時ゲラント・トーマスやカヴェンディッシュらが参加していたイギリス自転車アカデミープログラム(五輪でメダルを目指す目的で創始された)に参加。しかし、肌に合わなかったという理由で3ヶ月で去ってしまう。
その後単身ベルギーに渡り、弱冠20歳でオメガ・ファルマ・ロット(現ロット・スーダル)でプロデビューを飾ると、加入1年目の21歳でジロ・デ・イタリアに出場、第3ステージでは5位に入る活躍を見せ、順調なキャリアのスタートを送る。
その後、フィリップ・ジルベールのアシストとして共にBMCに移籍。しかし、当時暮らしていたモナコと高額な年俸が選手生活に悪影響を及ぼし、2年でクビになってしまう。
そして契約先が見つからなかったブライスは、地元イギリスのコンチネンタルチームに移籍する。
誰にも負けない自分だけの武器
だが、ブライスは2014年ライドロンドン・クラシック(当時1.HC/現1.UWT)で、ベン・スウィフト、ジルベール、ヴィヴィアーニらを抑え優勝。
わずか1年でオリカ・グリーンエッジ(現ミッチェルトン・スコット)との契約を掴む。
これがワールドツアーチームへの一度目の復帰だった。
再びトップレベルの舞台に戻ってくることができたブライスは、契約を掴むために必要な能力をこう語る。
「このスポーツで生き残るためには何か一つ得意なものがなければいけない。
いまの自転車界では、特に秀でているものが必要なんだ。
優れているだけでは足りない。飛び抜けて優れているものがないとだめなんだ」
オリカに加入したブライスは、翌年2016年にティンコフへ移籍。同年にはマーク・カヴェンディッシュを破りイギリスのロードナショナル王者に輝く。
だが、ここで再びワールドツアーチームからこぼれ落ちてしまう。
そのブライスを拾ったのが、同じイギリス出身の実業家リック・デラニーが創設したアイルランド初のプロコンチネンタルチームアクアブルースポートだった。
何か一つ、秀でた能力
アクアブルースポートにワンデーレースのエースとして加入したブライスは、3Tのフロントシングルという自転車にハンデを負いながらも、オランダ・エルフステーデントフト(1.1)でステージ勝利するなど、2年(2017〜18)でコンスタントにUCIポイントを稼いでいった。
「すべてが平均ではだめなんだ」
「良いアシストか、良いリードアウトか、良いスプリンターか、良いクライマーでないといけない。
これとこれはそこそこできる選手…ではダメなんだ。
とにかく何か一つに秀でていなければならない。クライマーでも、「麓までエースを連れて行く能力では誰にも負けない」とか、とにかく一つの能力が優れていないといけない」
「これはツールを見れば明らかだ。麓までで仕事を終える選手、リードアウトで終わっていく選手ばかりだ。昔は違った。一人の選手が3役はこなさなければならなかった。しかし最近そんな選手はみかけない」
その後、アクアブルースポートが消滅。2年契約の最終年だったブライスには直接的な影響は少なかったものの、自身を売り込む場のシーズン後半を失ってしまった。
だが9月17日、アダム・ブライスはプロデビューした古巣ロット・スーダルに移籍すること発表された。
ブライスにとって二度目のワールドツアーチームへの復帰となった。
クビにされた息子の手助け
「僕と同じく契約先を探していたベン・スウィフトと話をしていて、彼がエネコツアー(現ビンクバンクツアー)でカレブ・ユアンが「ロット・スーダルへの移籍は決まったけど良いリードアウトチームが揃っていない」と話していたと聞いたんだ。
僕は(オリカ)グリーンエッジでカレブとも一緒にいたから、彼にすぐに電話したんだ」
「その後トントン拍子で話は進み、チームと話し契約をもらったというわけだ」
ーーつまり、クビになったチームのオーナーの義理の息子と同じチームになったってことだね?
「ああ。彼の前で発言には気をつけないとね。笑」
*ユアンは昨年アクアブルースポートのオーナーの娘と結婚した。
これまでスプリントエースのリードアウトとしてキャリアを重ねてきたブライスだが、アクアブルースポートに所属していた2年はトップクラスのワンデーレースにほとんど出場できていない。
しかし、誰にも負けない武器がありそれをチームにアピールできれば契約は掴める。ブライスはインタビューで何度も「一芸に秀でる」重要性を強調した。
「すべてをある程度こなせる選手は沢山いる。また、すべてがある程度優れている選手も多い。だから、何か一つにすごくすごく優れている選手が生き残るんだ。
いまの自転車界はそうなっているんだ」
ーーじゃあ君の強みはなんだい?
「燃費の良さじゃないかな。プロトンの中でも特にね。
僕の仕事はカレブ・ユアンをトラブルから守り、良いポジションにつかせることだ。それも最小限の力で。そうやってスプリントまで送り届けることができれば最高だ。
あとは、どんなチームであっても空気を読んで溶け込める力かな」
武器を磨く、腐らず磨く。
総合優勝を狙うチームへと変容していったミッチェルトンで居場所を失ったカレブ・ユアン、活躍の場を求めロット・スーダルへと移籍した。
だが、ロット・スーダルはグライペルの退団と共にジーベルクやシーベルグといった実力のあるリードアウトを失ってしまう。
そこにリードアウトの経験が豊富で、過去にユアンのチームメイトだったアダム・ブライスが市場に出ていたのだ。
2014年にトップカテゴリからコンチネンタルチームに落ち、そしてこの2年はプロコンでありながらも最悪の環境で走っていたブライス。
腐らず自分の武器を磨き上げてきた彼に、このチャンスが巡ってきたのは決して偶然ではない。
来季はユアンによる勝利はもちろん、その影に隠れる腕にユニオンジャックをあしらった男のプロフェッショナルなリードアウトにも注目したい。
Source: The Cycling Podcast, Cycling Weekly