この度、自転車RR長文ブログ「りんぐすらいど」のポッドキャスト番組に呼んでいただき、約2時間半に渡って個人的に感じている自転車ロードレースの魅力について話ささせてもらった。
そのときに話題にしたのが、自転車ロードレースを観始めて驚いたこの競技の「ダサさ」について。
その中でも自分がダサい例として挙げたのが、クリス・フルームやエガン・ベルナルが着用するイタリアのサイクリングシューズブランド「SIDI(シディー)」だ。
王者を支えるダサいやつ
1960年にイタリアで登山靴から創業したSIDI(シディー)は、70年代からサイクリングシューズの製造を開始。前述したフルームやベルナルはもちろん、ニバリやランダ、昨年ジロ王者のカラパスにトレンティンなど、錚々たる選手たちがSIDを履き、結果を残している大手メーカーだ。
つまりその高い機能性に疑いの余地はない…一方で、それら輝かしい実績の数々を塗り消してしまうほどのダサさも、ある意味魅力の一つとなって(?)いる。
ここから、なぜ自分がSIDIをダサく感じ、前時代的なデザインに見えてしまうのかを可能な限り言語化したい。
じゃないとポッドキャストでただSIDIをディスっただけになってしまう。
そして批判のある人は、この後の内容を読み、余力があればポッドキャストを聴いて「SIDIをダサいと言った流れ」も把握した上でコメントしてもらいたい。
該当部分は25:50〜だが、こちらの機材が不十分だったため音が絶望的に小さい…。45:38〜あたりからだいぶ聞き取りやすくなっています。(Spotifyのリンクはこちら)
ダサくない、知らないだけ
はじめに結論から言うと、「SIDIがダサい」のは自分が自転車ロードレースの歴史を知らないからだ。
SIDIのデザインが最先端だった時代を知らないから、いまだにその残り香の強いSIDIが自分の目にはダサく映るのだ。
2016年ツールで初めてフルームの履くSIDIを見たとき「バッジョが履いてた頃のディアドラ(スパイク)じゃんwww」と思った。
つまりSIDIのデザインは、同じイタリアのディアドラのように1990−2000年代から全くアップデートをしていないように見えたのだ。
そして事実、その時代のイタリア人にとって最先端だったSIDIも、当時の色を濃く受け継いでる。だから当時の自転車ロードレースを知らない自分のような新参者には古臭くてダサく見えてしまう。
しかし、サッカー界でナイキとアディダスが全盛のいま、ピカピカのディアドラを履いて草サッカーをしようものなら、あの頃のセリエAに憧れた50代、40代が群がってくるに違いない。
バッジョの全盛期を知らない自分ですら、その重厚なデザインのスパイクは、一回りして個性的に見えてくる。中村憲剛が履く古い型のミズノ・モレリアが、10代にとってもすでに個性となっているように。
いま逆にSIDIを選ぶ理由
話を自転車に戻そう。
ポッドキャストでも話したが、自転車ロードレースのあらゆるデザインやSNSを使った広報は、他のメジャープロスポーツと比べ大分遅れている。
だが、そもそも自転車ロードレースファンは最先端なデザインや発信を求めているのだろうか?
イギリスで自転車ロードレースは、パブでオジさんやおじいちゃんが楽しむものだという(個人的な聞き取り調査の結果)。話を聞いていると、どうやらその立ち位置は日本の相撲と非常に似ている。
つまり何が言いたいかというと、SIDIのデザインは歩みを止めていることに価値があるのだ。
常に機能とともにデザインのアップデートを欠かさないfi’zi:kやSPECIALIZED、最近リリースされたRaphaなどは違い、SIDIが時代のトレンドに合わせることは、SIDIではなくなってしまうのと同義なのだ。
なぜなら、変化を必要としない人がいるから。
その圧に耐えられなくなってしまったのがデ・ローザのロゴなのだろうか?
あと5年ほど後には、一周回って他メーカーがSIDIを真似する時代も、来るかもしれない。
自転車ロードレースにおけるあらゆる分野でのアップデート(広報映像, SNS, Podcast etc)については、ポッドキャストでも話している。フルームとゲラント・トーマスが実はそんな仲良くなかった話(1:34:31〜)とかもしています。