ユンボ・ヴィズマに批判 守られるべき脳震盪プロトコル

ジョージ・ベネット(ニュージーランド/30歳)が落車で頭を強打した後、医師の診断を受けずレース復帰したことに対し、それを許したユンボ・ヴィズマと医療スタッフに批判が集まっている。

これについて脳震盪によって現役を引退した元選手イアン・ボズウェルは、自転車ロードレースにおける脳震盪への認識を改めるべきだと指摘した。

まず、経緯を振り返る

問題のあったレースはティレーノ~アドリアティコ第2ステージ。残り30km地点の道が狭くなった市街地で、車道と歩道を分かつ柵に前輪を取られベネットは落車し、頭を激しく打ち付けてしまう。

直後に起き上がったものの、ヘルメットを外し頭を手で抑え、焦点の定まらない目を何度も瞬きするシーンが中継に映し出された。

駆けつけた監督が新しいヘルメットを被せると、ベネットは同じく駆け寄ってきた医療スタッフの問いかけに無視するように、そのまま交換したバイクで走り去ってしまう。

その時の様子をベネットはレース後こう語っている。

「すぐに問題がないと分かったから再び走り出した。以前にも頭を打ったことがあり、その時は何かがおかしいとすぐに分かった。その経験から今回は大丈夫だと判断した

刷新された脳震盪プロトコル

昨年12月にUCI(国際自転車競技連合)は、自転車ロードレースにおいて脳震盪の危険性が軽視されている事態を受け、脳震盪(SRC:スポーツ関連の脳震盪)に関する新しいプロトコルを発表した。

このプロトコルでは、選手にヘルメットが破損するなど大きな衝撃が確認された場合、ロードサイド・アセスメント(問診)を受けるべきだと定めている。

選手には頭痛や吐き気、めまいの有無、そしてそれが軽度、中度、重度のいずれかであるかが尋ねられる。また軽度であってもそれが2つ以上の場合、そして中程度の症状が1つでも該当する場合は、SRCの可能性が高いと判断すべきだと規定されている。

しかし、ベネットの落車後のシーンで駆け寄った医療スタッフは、走り出したベネットを止めることなく、監督に何かを尋ねると、親指を立てサポートカーに戻っていった。

その後もレースを続けたベネットは、3日後のインタビューでこう答えている。

「直後に監督に大丈夫だと伝えた。僕のこと良く知っている人間ならば、僕が本当に大丈夫かどうかはすぐに分かるだろう」

「記憶障害もないし、目眩もなかった。もちろん頭を強く打った直後は視界がボヤけたが、自転車に乗ってレースを続けることに支障がないとわかっていた」

「確かにヘルメットが割れて新しいのが必要だったが、本当に大丈夫だったんだ。本当に大丈夫だ」


インタビュー動画

意識の転換が必要

2019年のティレーノ~アドリアティコ第4ステージで落車し、脳震盪が理由に現役を退いたイアン・ボズウェルは、選手自身による自己診断の危うさに警鐘を鳴らす。

「脳震盪があった後、監督やコーチ、ドクターが(レース続行の)危険性を選手に説明するだろうが、最後の判断は選手に委ねられているのが現状だ」

「そして選手は得てして怪我や目眩を隠すのが上手い。もちろん選手はレース続行を願うものだからね」

ボズウェルはロードレースを引退後もWahooのサポートを受けグラベルレースに活躍の場を移しているが、未だ脳震盪の後遺症には悩まされていると言う。

「実はいまだに左に曲がる際に違和感があるんだ。バイクでも、冬に楽しむスキーでも左へは曲がりにくい」

知人を通してベネットにも直接テキストメッセージを送ったというボズウェル。自転車ロードレースにおける脳震盪の認識が、他のスポーツから遅れを取っていることには同意しながらも、着実に改善していると語る。

「このスポーツで文化的な(根本的考え方の)転換が必要だろう。でもこれ(UCIによる脳震盪プロトコル)は正しいし、良い方向に向かっていると思う。この問題が選手やメディアで取り上げられることを含めてね」

棄権を選んだイネオス

一方、同じくミラノ〜サンレモの第4ステージで落車し、頭を強打したテイオ・ゲイガンハート(イギリス/26歳)は、すぐさまレースを続行したものの、めまいを訴え医療スタッフの指示に従いリタイアを選んでいる。

《今日のレースで頭を打ち付けてしまった。正常な判断が100%できない僕に対して、僕の長期的な健康を第一に考えてくれたイネオスと医療スタッフに感謝したい》

ジャーナリストがジョージ・ベネットに対し、ゲイガンハートの判断について質問すると、「テイオと違う点は、僕はその後レースを続けてもめまいは起こらなかった」と答えた。

「身体は痛んでいたが(頭は)大丈夫だった。だからそこに違いはないし、僕もめまいや頭痛があれば止まっていただろう

「彼ら(イネオス)の判断は素晴らしく、僕ら(ユンボ・ヴィズマ)の判断が間違っていたと言うつもりはない」